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禁煙マラソン ステップ2(SKM)の皆さんの声 2008

「私はこうして難局を乗り切った」「こんな工夫が効果があった」...などなど
禁煙を達成し、ステップ2(SKM)に進級した先輩の皆さんの生の声をお届けします。
  • 禁煙マラソンが開始されて11年目(2008年)の6月。禁煙マラソンStep2(SKM)に進級し禁煙を継続している皆さんに体験談を公募したところ、多くの体験談が寄せられました。
  • ここに先輩たちの長い禁煙人生の歩みの一部をご紹介します。(禁煙マラソンに参加した順番に並んでいます。)

男性 東京都

 1998年5月1日に禁煙を始めました。
 縁あって高橋主宰の「禁煙マラソン」という本を手にし、3回も読み直して「これなら自分にもできるかも知れない」と思い立ち、第3回禁煙マラソンに参加を申し込むと共に、独自に禁煙フライングスタートしました。

 最初の数日間。連休のさなか、「おとうさんは禁煙するぞ」と家族に禁煙を宣言しました。連休明けには会社で、周囲の社員に禁煙して いることを伝え協力を求めました。そして、更に3週間後には朝礼で全社員を相手に「高らかに禁煙を公言」してしまいました。

 順調に禁煙しているようにみえながら、現実にはかなり危ないこころの葛藤が続いていた時期。ひとりでもんもんとしていたのを救ってくれたのが6月1日スタートの禁煙マラソンでした。「どれだけ自分が つらいか」を綿々と書き綴ったメールを何度送ったことか。そのたびにサポートの先生方や先輩のタイムリーなアドバイスに救われました。

 マラソンゴール後、いくらかして、突然、いわれのない不安に襲われました。うつとして楽しめない夏。ひとと会うのもおっくうな状態が続きました。ニコチンの逆襲でしょうか。最大の危機(^^;;)。 再び、「自分の窮状を書き綴ったメール」を、現在でいうステップ2に送りました。禁煙マラソンだけが支えでした。

 その後、初めて禁煙マラソンのメンバーとお会いする機会があり、そこで高橋主宰をはじめ多くの方々の知己を得ることができました。ここでは、自分の禁煙にしっかりとした手応えを感じることができました。

 年末にはNHKで「自分の禁煙の成果」を紹介して頂きました。おかげで遠くの親戚、近所の町内会の面々からも暖かい声援がありました。

 いろいろな形での「ひととの関わり」が私の禁煙を支えてくれました。ひとりでは「たばこの重圧」に押しつぶされていたかも知れません。 ここでころんだら、まわりのみんな、禁煙マラソンの仲間たち、世間さまになんていい訳するんだよ----これが、禁煙を継続してこれた「ええかっこしぃ」の本音です。

 改めて皆さんに、仲間に、世間さまに感謝。そして、今後その感謝の気持ちを「禁煙マラソンを通じて社会にお返しする」つもりです。

女性 愛知県

 昨日、禁煙して丸9年を経過することができました。 同期の皆さんも9周年を迎えていらっしゃることと思います。

 禁煙マラソンに参加したきっかけは、世界禁煙ディのテレビ番組で主宰のお話を聞いたことでした。 どうしても禁煙したくて、藁にもすがる思いで参加して。汗と涙でぐしゃぐしゃになりながら、先輩や同期の叱咤激励に支えられて。ヨレヨレになりながらゴールできた時からずっと続いています。

 禁煙パッチもニコチンガムも無いときでしたので喫煙衝動を乗り切れたのは仲間の頑張りと先輩方の励ましだったと思います。常に身近に感じられる仲間の存在が支えになりました。

 ひとつ困ったのは、ニコチン依存症からメール依存症になってしまったことでした。

 主宰、先輩方、禁煙マラソンの仲間たちに感謝あるのみです。これからもずっとこのままで生活していきます。

女性 東京都

 私の、喫煙人生の最後の10年は隠れ喫煙でした。後ろめたい秘密を抱いて生活することは、大切な人への嘘、裏切りであり、自分自身がゆっくりと自信を失っていき、嫌悪感が増殖していき、いつも影に追われているような落ち着かなさと、すべきことをしてないという焦りに追われる毎日でした。

 本当に心からやめたいのに、何故やめられない???!禁煙できると聞けば、片っ端からいろいろなことを試しました。 そうして出会った禁煙マラソンは最後の切札。そんな予感があったようです。募集開始の日も、スタートのときもいっそ楽しんでしまえというようなワクワク感がありました。今までの隠れた孤独な禁煙とは大違いですね。

 導入期にはニコチンパッチとニコレットを併用し、状況報告メールもフルに活用しました。そして、次の報告メールの文面を練り、投稿したメールを何度も読み直すこと。これもよかったと思います。

 結局私はゴールまで突っ走り、今日まで転倒はしていません。

 しかし、ここからが本当の試練でした。ある日、禁煙講習会がありました。その懇親会の席で、気持ちの苦しさ、禁煙の不安などを高橋主宰に訴えました。主宰は私の手をとって「禁煙してよかったと思える日が必ず来ますからね!」と、何度も暖かな手で私の手を握りしめてくださいました。

 もうだめと思った時は、その主宰の言葉を思い出し、メールの文章を思い出しました。

 そして、この試練を乗り越えたお蔭で、今の私があります。禁煙してもいつか人は生を終える。でもその日まで生ききること。自分ができることをあきらめず継続することが、私の使命です。

 「生かされてる命、生かしていく」禁煙マラソンで、どなたかが書いてくださった言葉。これも大好きな言葉です。 私は、二度と吸わず、人生を最後まで生ききると決めました。ここまで来れたのは、禁煙マラソンの皆さんのおかげです。

男性 兵庫県

 禁煙マラソン参加のきっかけは、自治体の禁煙講習会で初めて高橋主宰の講演を聞いてその場で申し込みました。 あれからちょうど7年、再喫煙もなしに続いています。

 スタート直後は、パッチ、氷、歯ブラシで乗り切りました。その次は、呪文「もったいない!もったいない!」 「今ここで吸ったら今までの苦労は何の意味もない!もったいない!」やはり、大阪人です!!このフレーズは効きました。

 しかしながら、一番の乗り切り方は禁煙マラソンの公式行事に参加することでした。
 まずは、式典。これは学校の入学式にたとえて「入学式典」と呼ばれるもので、大阪と東京でホテルで年に2回ずつ開催されています。そこには新しく禁煙マラソンに参加して禁煙を始めたばかりの新人たちと、その新人たちにアドバイスを送った先輩が集います。それが、ちょうど、吸いたくてたまらなくなりそうな時期にあるのです。式典に出席すると決めたら、式典に出るまでは吸えないと自制の気持ちが強くなります。そして出席して、そこで初めて多くの方々の支援で、自分の禁煙が続いていることを実感しました。「これでは再喫煙できない!!」 と強く思いました。

 次の公式行事は、講習会でした。正式には全国禁煙アドバイザー育成講習会と呼びますが、禁煙支援について勉強する機会です。これも、式典から二、三ヶ月後、そろそろ油断がでてきて、ここらで1口くらい吸っても大丈夫だろうとの思いが頭をもたげるような、ちょっとやばい時期にあるのです。「アドバイザー講習会に出るまでは吸えない!」自制の気持ちです。出席すれば、続いてスタートする後輩の「アドバイス」をする、、「えらそうに先輩づらしてアドバイスしながら、自分が吸うわけにゆかない」自制の気持ちが芽生えます。 実にうまい仕組みになっています。

 そのうち、自分の禁煙成功?(本人は成功したと思っていない)を見て友人や、主治医の先生まで禁煙を開始する。 ますます吸えるわけがない!!こうして、次の式典まで  その次の講習会まで、次の式典、、、、、

 振り返ってみて、私の禁煙継続のコツは、『公式行事参加』の一言です。

男性 愛知県

10203

 何度も何度も失敗した禁煙。でも諦め切れなかった禁煙。禁煙マラソン参加のきっかけは、主治医の先生から頂いた主宰の書籍と一言。主宰の書籍を私に手渡しながら「○○さんと同じ道をいくの?」(○○さんとは、大好きな先輩で、ガンで逝きました) 「もうこれを最後のチャレンジにしよう。」と決意し家族も勿論大賛成。妻も積年の願いがついに成就かと大喜び。約6年半前の1月中旬のことでした。・・・ところが!!

 申し込もうと開いた禁煙マラソンのホームページを見てビックリ。2月スタートは定員が一杯になったので締め切りました。との事。何か拍子抜けしたような、でも内心は間違いなくホッとしました。 さっそくに会社で女性社員に喋りました。「てな訳で、禁煙は7月からに延びちまった。ワハハ」

 ここで予想もしなかった展開が。当時(今でも)喫煙率の高い建設業にあって女性の悩みの種は、周囲の喫煙だったそうです。彼女は速攻で社内の女性社員にメールしました。「部長が、7月から禁煙します。」(余計なメールした上に。断言までしなくても良いのに。)

 あっという間に半年が経過。揺らぐ私の心とは裏腹に、周囲の期待はどんどん膨らんでいきました。迎えた7月5日。私は心ならずも大勢の人達の祝福を受け、遂に禁煙開始しました。

 禁煙の過程では様々な難局が有りましたが、先輩方のアドバイスメールに勇気付けられ 現在に至ります。 いろんな局面に遭遇しましたが、乗り越える力の源泉はふたつでした。まずひとつめ。 私の場合は心ならずもでしたが、禁煙に賛成してくれる人を自分の周囲に大勢作り、皆さんに大宣言をして喜んでもらう環境を作ってしまうこと。こうなるともう、引けません。ふたつめは、毎日自分を褒めてやる事です。褒めてやる材料は、自分で思いつかなくても状況報告のメールを送りさえすれば、禁煙マラソンの先輩がいっぱい褒めてくれますので、大丈夫です。この二つが、禁煙初期の力の源泉でした。

 それ以降は、やはり自分が禁煙アドバイザーを勤めたことと、公式行事に参加したこと、ですね。

男性 東京都

 2003年5月30日以来、禁煙が続いています。早くも 16歳で喫煙者の仲間入りをして以来、紙巻きはもとより葉巻、パイ プ、かぎタバコなどなど、一通り経験しました。もちろん禁煙も折 に触れ試みましたが、何回やっても「1本だけ」の誘惑に勝てず挫折していたのです。しかし禁煙マラソンを試みて以来その誘惑 を乗り越えられ、今となってはほとんど断ち切れたように思います。

 私の場合、禁煙そのものは毎回それほど苦しくないのです。もち ろん「スタートのきっかけ」をうまく見つけるのには苦労します が、いざ始めてしまえば禁断症状も体重増加も思ったほどではあり ません(もともと太め、ということもありますが…)。そんなわけ で初体験の禁煙マラソンでもゴールインまでは大きな波乱なくたど りつけました。しかし問題はそのあとです。それほど苦しくないこ とから「挫折してもまた禁煙できるさ」と思ってしまうのです。

 この誘惑から逃れるのに一番の力となったのが、マラソン仲間の 存在です。それもネット上ではなく、禁煙達成を祝う式典の時や折 に触れて催される禁煙アドバイザー講習会などで一緒になる、生身 のメンバーたちです。こうした会の後にはいつも飲み会があるので すが、これが実に楽しい。さまざまな職種と年齢層の人たちが、 たったひとつ「禁煙を続けている」というだけで、大きな連帯感の もと、終電の時間まで盛り上がれるのです。仲間たちに次回も会い たい、という思いが1本だけオバケの撃退へとつながりまし た。これからもこの宝物を大切にしていきたいと思っています。

 そしてもうひとつの力は「アドバイザーとして活動する」ところ から得ています。禁煙達成直後は「まだ初心者」という認識から 「他の人のアドバイスをするなんてとんでもない、こちらがまだ引 き続きアドバイスしてもらいたいのに」と思います。しかし自分自 身の努力の記憶がまだ新鮮なうちから他の人へのサポートを開始す ることによって、自分の禁煙がより強固になるのです。人に「吸う な」と声をかけながら、自分で吸うわけにはいきません。努力のか いがあって「禁煙支援アドバイザー」としての認定も頂戴しまし た。これも私のもうひとつの宝物です。


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